大阪高等裁判所 昭和52年(く)116号 決定 1978年1月24日
少年 S・Y子(昭三七・一一・二八生)
主文
原決定を取消す。
本件を大阪家庭裁判所に差し戻す。
理由
本件抗告の趣意は、少年の法定代理人親権者父S・O作成の抗告申立書記載のとおりであるから、これを引用するが、所論は、要するに在宅処遇を選択しなかつた原決定の不当をいうものである。
そこで、本件保護事件記録及び少年調査記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌して審案するに、本件事案の罪質、態様、なかんずくうち一件は夜間路上において少年を含む少女二名及び少年の実兄ら男子三名の者が共謀し通行人から現金一万二、〇〇〇円を強取しその際傷害を負わせた強盗致傷事件であり、また二回にわたる毒物及び劇物取締法違反(ボンドの吸引等)の点も、少年は吸引時に金魚が遊泳する等の幻視を発症する段階に達しており、ボンド等の乱用には軽視し難いものがあること、実兄やその仲間との接触、不良交友等を通じ頭髪を染め或は恐喝の手口を体得する等強い要保護性を具有するに至つており、また母親は少年が五歳時に家出したためその後は父親に養育されたが、父親は病弱で定職なく生活保護を受け、家庭に保護能力乏しく、長期間に及ぶ怠学のため基礎的学力の面で大きく立遅れているばかりか、男手で養育されたため女子としての日常生活上の基本的な躾にも欠けていること等に徴すると、一般短期処遇を行う初等少年院における処遇を相当と認めた原決定の判断も一応首肯しうるのであるが、他方、少年にとり家庭裁判所への事件係属や少年鑑別所入所の体験は今回が初めてであり、また前記の強盗致傷の事件につき少年も共謀による責任は免れえないものの、その中味は手引的役割を果たしたにとどまり、共犯の実兄ら年長の男子三名が暴行脅迫等の実行行為を敢行したものであること、少年は原審での調査審判の過程、さらに少年院における職員の周到な配慮に基づく矯正補導等を通じ従前における自己の野放図な生活態度を深く反省し、当裁判所の事実取調べの際には、前非を悔い、自分はむしろこのまま少年院に在院し指導を受け学習、躾け等を身につけたい旨卒直に申し述べるなど少年なりに自己の現在及び将来に対する内省を深め真摯な更生意欲を抱くに至つており、家庭の保護能力に不安はあるが、三人の子供のうち一人息子である少年の実兄は前記の強盗致傷等の事件で既に中等少年院に収容され、今また長女である少年の事件係属審判という事態に直面し一徹者の父親も強い衝撃を受け、遅まきながら学校との連絡を密にするなど少年の監督保護に強い熱意を示すに至つており、そして少年が在籍する学校側では、担任教師及び生活指導担当教師らが在院中の少年に面接したうえ、少年が今春三月の卒業及び就職を間近かに控えている関係上、この際少年を是非学校に復帰させ特別の課外授業を実施しかつ就職先を斡旋して卒業、就職という少年一家の希望を叶えるべく援助したいとの強い意向を示していることが認められ、以上の諸事情、とりわけ原決定後における少年自身の反省並びに自発的更生意欲の高揚、卒業、就職という少年の一生を支配する重大な時期に直面していること、父親及び学校関係者など保護監督関係者間における少年保護に対する熱意と保護態勢の整備強化への努力等にかんがみると、少年の処分については、今回に限り保護関係者らの希望と意向を尊重し、家庭裁判所調査官による経過観察の実施等専門家の指導援助の下で保護関係者らが連絡協調を密にし、在宅処遇の方法により少年の更生保護を期するのが最も妥当な措置であると考える。
右の次第であるから、少年を初等(一般短期)少年院に送致する旨の原決定は結局において著しく相当性を欠いたものというべく、少年法三三条二項、少年審判規則五〇条により、原決定を取り消したうえ主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 矢島好信 裁判官 山本久巳 久米喜三郎)
参考一 抗告申立書
抗告書
下記の理由で抗告致します。
一 昭和五拾二年十一月九日○○裁判官にて私の娘S・Y子の一回審判が有り一方てきな理由にて家には帰へせんとの事でした。十一月の拾六日に再審判が有り、私には、なつとくの行かないまま少年院送りとの事でした。S・Y子も本当に心から自分のした事を反省し二度とあやまちをせぬ様面会の時涙を流し私にちかいました。来年の三月には中学も卒業ですし、親から見ましても少し気性のきつい子です故親の目からでも少年院に入れば、もつと、ぐれる様に思はれます。私は保ごかんさつにし帰へしてもらえると信じて居りました。又S・Y子にも、帰へれるからと希望を、もたし私もS・Y子も十六日を、長い思いで待ちました。でも私には裁判官の気持が、わかりません、私の家内が、八年前に三人の子供を残こし家出をしましたが、よし私がりつぱに育てると決心し、再婚もせず現在まで、がんばりました。家には妹中学一年生が居ります。
二 長男S・Sは男ですから私もあまりびつくりはしませんでしたが、尚S・Sも何回も審判を受け本人も少年院でがんばると申し現在まじめにやつて居りますS・Y子の学校の先生も今日の審判に来られて居りS・Y子の少年院行きを、びつくりされて居りました。
尚共犯者A子ちやんも、家に居り私の娘が、少年院に送られたと思いますと親は私自身何にも手につかない次第です。初めて少年鑑別所に入いり本当に悪るい事をしたと反省して居る少年を、裁判官が、私にもよく理かい出来ないまま少年院に入れると云われる気持がわかりません。
三 ○○裁判官殿の裁判が、親心にて少年院に入れるのか、S・Y子のために入れるのか、尚私の生活が悪るいのか、あまりにも一方てきであつて、私には想像もつきません。
若し今日S・Y子が、帰りますれば、親としてりつぱな女の子にし二度と間違いの無い様万全をつくす覚悟で居りました。男手一とつで、現在まで見て来た私の苦労○○裁判官にわかつて戴けるでせうか、あまりにも、重い判決と私は思います子を持つ親としてお願申します。
何率再審判をして戴き娘の将来も有りますし、学校も卒業させ、良き社会人として再出発出来ます様くれぐれもお願申し上げます。
上司様のよりよき御審判を
参考三 少年調査票他関係資料
昭和52年少第6325・8294号 少年調査票<省略>
鑑別結果通知書<省略>
意見書(編注 差戻後)
大阪家庭裁判所
裁判官 ○○○○ 殿
昭和53年2月4日
同庁
家庭裁判所調査官
昭和53年少第336号 少年 S・Y 子 昭和37年11月28日生
住所 大阪市○○区○○○×丁目×番××-×××号
上記少年に対しては少年法第24条第1項第1号の決定を相当と思料する
(理由)
・犯罪事実は別紙の通りでありいずれも少年は事実を認めている。
・これまでの生活状況等については、前回調査票を参照下さい。
・少年、父、学校教師の陳述については別紙報告書記載の通り。
・少年は昭和52年11月16日 当庁にて初等少年院送致(短期)になり、抗告後昭和53年1月24日 原決定を取消し当庁に差し戻され、観護措置がとられたが1月30日 観護措置決定が取消され今日に至つたものである。
・これまでの少年の問題点としては、<1>放任と保護不適切の結果による躾、生活訓練不足及び女子としての情操の欠如、<2>不良文化感染、<3>強引なまでの勝気さと虚勢の強さ などが挙げられる。 それらの諸点については、少年院側で少年の能力に応じた適切な指導がほどこされ、茶、花などの実施により「花嫁修業にきているみたい」と少年自身思うようになつたし、女子教官との心のふれあいを通じ真の女性像を少年なりにつかみ、これまでのような虚勢をはつた強がりではなく、真に女性に目覚めたとも言える段階に達しており、言葉ずかいも長足の進歩をとげている。又従来指摘されてきた学力不足についても調査時当職が小学校高学年から中学校1年生程度の計算問題をさせてみたが、正解し、中学校教師も驚ろくほどになつているし、漢字もかなり交じえた文章を書くようになつている。少年院での内省体験を通じ自己を少年なりにみつめることを学び、前非をくいるようにもなつていることは評価してやりたい。
高裁の審問時、少年にもう少し残りたい旨申し立てたのは、少年の本心から出た偽らざる気持であり、あまりにもの自己の急激な変化に対するとまどいであり、それほどまでに自分というものを適格に把握できるようになつたと言える。「これまでは少年院の先生に守もられていたが、これからは一人で歩かねばならないのは心配だ」と言つているのは、そのあらわれであると言える。
むしろ問題として残るのは、父の態度であろう。子供3人を置いて男と家を出た妻に対する父親の意地から養育に一応の関心をもつてきたが、父自身協調性が乏しく短気で激昂しやすく、感情面でも子供や相手の心情をくんだり、他人の意見を聞き入れたりすることが苦手で、躾や基本的生活訓練も子供達の心身の発達に応じ教えるのではなく「子供とは、こうすべきだ、こうあるべきだ」ということが先にたち、自分のレールにのつてこない子供(少年を含めて)を叱責するのみで、あとは放任してしまい「性格が悪いからどうしようもない」「学校へ行けといつても行かないのはしかたない」ということになる。
父は従来から、自分によくなついた少年に対し、兄や妹に対するそれとはやや異質の一体感を抱いており、少年に対しては家事の分担者以上の精神的役割を期待していた側面もあり、そのような少年と一時期ではあつたが隔離されたことにより、これまでの養育態度への反省もわずかであるがみられ、少年のレベルにおりて話しあおうとする姿勢が窺えるし、中学校へも相談のため足を運ぶようになつた。
学校も受け入れ体制を約束通り整備し、少年も鑑別所を出てから毎日元気に通学しており、父、学校関係者の尽力で少年の希望通りの就職も可能な状况になつてきている。このように周囲の者の努力で少年が立ち直りつつあることは評価してやつていい。
これまでの交友関係は兄やその友人、本件共犯達が中心であり、非行文化にもかなり染つているし、これまでの経緯を考えると、一変して交友関係が改善されることは困難であろうが徐々に整備されることは予想できる。
以上の点から考え在宅処遇で十分更生可能であろう。尚在宅試験観察の途も考えられるが、今回の調査過程で保護環境は一応ととのつたし、少年も少年院から家庭、学校への急激な変化に順応できたし不安も解消されたので、今後は専門的ケースワーカーによる指導にゆだねたい。又、可能であるならば保護観察官による直接指導が適当であると思う。
昭和53年少第336号
依頼書
交野女子学院長殿
下記少年に対する:毒物劇物 強盗致傷 保護事件ついて調査審判のため下記事項につき援助協力されたく、少年法第16条第1項によりお願いします。
少年 S・Y子 昭和37年11月28日生
住居 大阪市○○区○○○×丁目×××-×××号
昭和53年1月30日
大阪家庭裁判所
裁判官 ○○○○
記
1. 収容中経過、成績、及び問題点
2. 保護者の協力状況
3. 今後の処遇に関するご意見
4. その他参考事項
・本日1/30身柄は釈放となりました。
・審判は2/6A.M.11ですので至急よろしく願います。
回答
1.入院時、非常にふてくさつた、粗野な態度であり、他生とすれちがつた際にすてぜりふを吐いたりする。しかし2日程で落着き、これなら家で学校にも充分に行けず、家事を強いられるより良い何よりも、体育の時間が多いのは嬉しいと言うカッとなりやすく、肩をいからせ、すごんで見せることもあるが、少年の言い分を充分に聞いた上で、ゆつくり注意し、説明してやれば物わかりは悪い方ではない。又ほめ、認めてやれば如何にもうれしそうで張切る、対人関係では非常に積極的で、負けず嫌いであるが、自分の思うようにならないことがあると、怒りつぽく強引で、少年の押しの強さに他生がひつこんでしまう場面もあり、協調性に欠ける。集会時等も発言は非常によく、建設的なのだが行動場面では、身勝手で、気分のムラも多く、周囲がおとなしいのをよいことに、気儘が見られることがある。しかし自分の行動や言葉使いが粗野なこと、怒りつぽく、ムラ気なこと、かつこうをつけがちなこと等を自覚しはじめ欠点をなおそうという構えは持てるようになつて来た。又学科への取り組みの姿勢もできてきたところであつた。
2.父親の面会は多い、父は最初から抗告のことばかり話し、審判への不満をのべる。少年にも何とかしてやるから真面目におとなしくしておれと言う。それに対し少年は、初回の面会時からみんな心配はしなくても、ここで学校を卒業する。そんなにいやでもないし、抗告等しないでくれという、むしろ父の方が、お前がいないと家事はどうなるのか、妹まで悪くなつてしまう。兄が少年院から帰るまでにお前が家にいないと、兄がやけを起す等々と説得している。
出院後の生活については、少年の希望通り、美容をやらせる。美容学校もすぐ入学できるようにしてきたと力説している。引受けの気持は強く少年院の処遇に対しては、一応納得を示している。
3.少年自身は、中途半端に復学しても、友人にへんに見られるので、このままでよい。美容師を希望するが今の自分では、客相手の仕事は出来ないという気持は持つている。せつかく自分でも気がつき、改善の方向に向かおうとする気持が出てきていただけに、もう少し院内で実際に、感情をコントロールし、ムラ気を抑える力を身につけるまでの勉強をしてくれたら効果的だつたと思う。集団場面では、いわゆるかつこうをつける少年だけに、今の段階で以前の不良つぽい仲間と接した場合、不良ぶる傾向は残つている。
昭和53年少第336号少年S・Y子に関する昭和53年1月30日付の依頼につき上記のとおり回答します。
昭和53年2月1日
回答者 交野女子学院 ○○○○
編注 受差戻審(大阪家昭五二(少)八九〇六号・昭五三(少)三三六号昭五三・二・六保護観察決定)